2015/07/17

キャプテン・アメリカ ザ・ファースト・アベンジャー(Captain America: The First Avenger)





マーベル・シネマティック・ユニバース四作目。
スティーヴ・ロジャースことキャプテン・アメリカの誕生です。


時代は第二次世界大戦。
アメリカのために戦いたいスティーヴ・ロジャースは軍に志願するのですが、ヒョロヒョロの体格のせいで相手にしてもらえません。

しかし、彼の人柄を認めてくれた博士が、筋肉マンになる薬を発明したので、それの実験台一号にしてもらえることになります。

実験は無事成功し、スティーヴ・ロジャースはムキムキマッチョに。
しかし、博士の死によって超人兵士製造計画は頓挫し、スティーヴ・ロジャースは唯一の筋肉マンになってしまいます。


スティーヴ・ロジャースが他のヒーローたちと違うのは、彼だけは人格的には問題ないということです。
トニー・スタークは元から天才、ソーは神、と今までに登場したヒーローたちは最初から力だけはあったために、自分勝手な性格に育ったのですが、デビュー前のキャプテン・アメリカは筋肉もなければ背丈も低く、喧嘩にも勝ったことがないため、「弱さ」を知っています。そのことが、彼の強さであり、力を与えられたときにその使い方を間違えなかった原因なんですね。


実際のところ、筋肉マンであるということ以外、人間を超越した能力を持っているわけではないのですが、不屈の精神と彼を信頼する仲間によって、キャプテン・アメリカは次々とヒドラの基地を破壊します。

盾だけであんなに戦えるのか!!!!
というか何で投げた盾が戻ってくるのか!!!!
ソーのハンマーも神の力で戻ってきましたが、キャップはそれを自力でやっているというのが凄い。


それと!!!!
童貞として名高いキャプテン・アメリカですが、なんだよ彼女いるじゃないかよ!!!!
アベンジャーズ唯一の童貞とは名ばかり、アベンジャーズは全員リア充でした。没。


トニー・スタークの父の時代に生きるスティーヴ・ロジャースが何故トニー・スタークと共にアベンジャーズとして戦うことになるのか。
それが最後に繋がります。


NYの街中でのスティーヴ・ロジャース最後の台詞がお気に入りです。




予習
アイアンマン
アイアンマン2
マイティ・ソー

2015/07/16

マイティ・ソー(Thor)





マーベル・シネマティック・ユニバース三作目。
今回はアスガルドの王子ソーが主役です。


簡単に言えば、悪戯してパパに怒られた子供が家を追い出されて、そこらへんを彷徨った末に反省し、パパに許してもらって家に帰る話です。
本来ならこれだけだったんですが、コンプレックスの塊の弟のせいでちょっとだけ話が面倒くさくなります。


一国の王子とはいえ、自分勝手でナルシストなソー。

アイアンマンやん。

自分の力を過信して、周りも顧みず敵に戦争を仕掛けます。

アイアンマンやん。

このアイアンマン神バージョンの初登場が、車に轢かれて地面に寝っ転がっているって・・・・。
全然格好良くない!!!!
「そんなもので俺を殺せるとおもうなワハハハh」
最後まで言い切れずスタンガンで気絶させられちゃうし。

そんなソーが、自分の身勝手さを猛省して、どんどん格好良くなっていくんですよ。
自分では一人前だと思っていたけれど、実はまだまだ子供で、学ばなくてはいけないことがたくさんあることに気づくのです。

そして、家の中からこっそり子供を見ていたパパは、「あ、反省したな」とわかり、取り上げたおもちゃをこっそり返してくれます。

ハンマーを奪還したソーは、弟のロキの野望を止めるために、国に戻ります。

「必ず帰ってくるから」とジェーンに言うソー。
どう考えたってフラグやろ。
帰ってくるって言って帰ってくるのなんて『インターステラー』くらいだわ。

ここがクライマックスではあるのですが、ハンマーさえあればソーは無敵なので難なく試合終了。

ですが、一時の危機は防いだものの、あの兄弟の確執はまだまだ終わらないのでした。

2015/07/15

バケモノの子(The Boy and the Beast)





これぞエンターテイメント!!!!

正直言って、めちゃくちゃ面白いです。
こんなに子供も大人も楽しめる映画、なかなかないです。


二時間という尺に詰め込まれた約六時間分のエッセンス。
細田監督の『時をかける少女』では思春期の甘酸っぱい青春、『サマーウォーズ』では強敵との戦い、『おおかみこどもの雨と雪』では子供の成長と旅立ちが描かれているのですが、本作には、これが全て入っています。
引き伸ばしたら三部作にできそうな、そんなボリュームです。


アニメーションも素晴らしくて、九太の身軽な動きに合わせてぐんぐん人ごみの中を進んでいく映像など、映画館の大きなスクリーンで観ると本当にワクワクします。


二つの異なる世界の間で生きる主人公、というのは細田監督のテーマなんでしょうか。『時をかける少女』では現在と未来、『サマーウォーズ』では現実とインターネット、『おおかみこどもの雨と雪』では人間と動物。

九太はふとしたことからバケモノの世界に迷い込み、熊徹の弟子になります。

人間は誰しも闇を抱えている。それがバケモノ世界では禁忌であり、彼らが彼らの世界に人間を拒む理由だったのですが、人間がそこに足を踏み入れたことで、バケモノ・人間両界が危機に陥ります。
それは、観てのお楽しみ。


ところで、人間界に戻ったその日に彼女ができるって羨ましすぎる・・・・!!!!




予習
不要

2015/07/14

アイアンマン2(Iron Man 2)





マーベル・シネマティック・ユニバース二作目。


アイアンマンであることを公表してからすっかり人気者になり、調子に乗りまくりなトニー・スターク。
ヒーローとはいえ元々女好きなナルシスト、そう簡単に人は変わるものではありません。
さらに寿命も近いということでメンタル的にも不安定もになり、さらにハメを外し続けます。

まあこれまでに色々やってきたトニー・スタークですので、当然ながら敵もたくさん。
今回の敵はトニー・スタークの父を恨む汚い外国人のおっさん。

さらにトニー・スターク、アメリカ政府までもを敵に回してしまいます。
アメリカ政府は「アイアンマン一人で国を守れるのか?」という疑念からスーツを没収しようとするわけですが、確かにアイアンマン一人に全てを任せるのは筆者も心配ですね・・・・。戦闘力的にではなく人間性的に・・・・。
悪に走ることはなさそうですが、気が短くて自分勝手で人の話を聞かないので自分でトラブルを呼び込んでしまうんですよね。

それはさておき、今回はペッパーに加えてもう一人のヒロイン、ナタリーが登場します。
リング登壇から非常にエロい。
飾り気のないペッパーと並べば、大半の男性はこっちを見るだろう・・・・。
案の定女好きなトニー・スタークもメロメロ。
それを睨むペッパーwwww

この映画は、絶賛のメンブレ中のトニー・スタークの転落で前半が終わります。
ローディとの喧嘩以外ではロボットほぼ登場せず。
アイアンマンの無双が見られるのは後半になってからです。

一方敵は順調にロボット製作中。
なんかものすごいものを作ってます。
大量のドローンまで用意してるし。

敵が準備完了したころ、なんやかんやでトニー・スタークのメンタル復活。
反撃開始です。

今回は数が多いだけあって倒し甲斐があります。
それもザコ多数+ラスボスなので、アイアンマンがザコを蹴散らすのを楽しみつつ、ラスボスに苦戦するのも見られます。
ラスボスの始末に、喧嘩していたローディと協力するというのも良い。

アイアンマンの陰ながら、ハッピーとブラック・ウィドウも大健闘。
へなちょこボクサーのハッピーの可愛さもさることながら、ブラック・ウィドウのセクシーなアクションも必見です。




予習

2015/07/13

アイアンマン(Iron Man)





マーベル・シネマティック・ユニバース一作目。
アイアンマンの誕生です。

主役のアイアンマンの中の人、トニー・スタークは、ヒーローとはいっても別に超能力が使えるわけでも、単なるメカオタク兼兵器製造会社の社長。
そもそも正義感もなにもなく、メンブレの激しい自分勝手な女たらし。

そんな彼が冒頭で、謎の組織に拉致されたことから、人生が一変します。
軍の車で移動中、突然飛んでくるミサイル。しかも自分の会社の製品。
その際に心臓を負傷し、命は助かったものの、電磁石無しでは生きられなくなります。

しかも拉致されている。

そこで、逃げるためにトニー・スタークが考え付いたのが、ロボットスーツでした。胸の電磁石を起動力とする、最強の人型兵器が完成。
天才なのでもうなんでもアリです。

一方そのころ監視室では組織が「あいつなんか変なもの作ってね!?」ということに気づき、トニー・スタークが閉じ込められている部屋に行くのですが、武装したトニー・スタークは難なく火炎放射。洞窟の中の敵をバタバタと倒していきます。
そして、洞窟の中から足音と共に現れるトニー・スターク。

アイアンマン、爆誕。

豪快に敵を吹っ飛ばします。

そんなこんなで脱出したトニー・スターク、会社に戻り、もう兵器は作らないと決め、代わりに技術を人助けに役立てられないかと模索しながら、ロボットスーツを改良します。
そして、完成したレッドスーツで、早速、軍に襲われる人々の前に颯爽と登場し、ササッと敵を始末してそのまま立ち去ります。

しかし、遺棄されたロボットスーツの部品は、組織によって密かに回収されており…。
映画も中盤にさしかかっていますが、今までのは全て前置き。ここからが本番です。

無双ロボット、アイアンマンのガチャガチャバトルが炸裂します。

戦う相手の武器はは自分の作った兵器。
自分が原因で巻き込まれた事件と自分で戦うという、言うなれば自分の蒔いた種を刈り取るような展開。
そもそもこの映画、アイアンマンことトニー・スタークがヒーローとして世界を救うというより、個人的なトラブルをメカで撃退する話なんですよね。


あのスーツ着てみたいわあ…。




予習
不要

2015/07/12

ルック・オブ・サイレンス(The Look of Silence)





前作『アクト・オブ・キリング』から二年、今度は9月30日事件を「被害者」視点で描いています。


前作よりもかなりわかりやすいです。
『アクト・オブ・キリング』は完全に何も知らずに観ると中盤まで監督の意図がわからずに戸惑うことになるのですが、こちらは、初めから方向性がわかりやすくなっているため、初見でもすんなり話に入っていけます。


この作品、映しているのは殆ど「現在」だけで、前作と違って残虐なシーンがないにも関わらず、生々しいほど「過去」が浮かび上がってくるんですよね。
言葉だけで、当時の痛々しさが描かれる。


そして、この映画の主人公でもある、兄を殺された被害者の男性は、兄の殺害に関わった人をひとりひとり訪ねていくのですが、同時にそれは、彼や彼の家族を危険に晒すことでもあります。
それでも、この事件を伝えていかなければいけないと、加害者を訪ね続ける男性。
前作同様エンドロールに大量の"ANONYMOUS"が見られるように、本当に命がけの映画なんです。


加害者たちは、何も知らずに男性に会い、過去の行為を自慢げに語ります。
しかし、男性が素性を明かした途端に言い訳を始める加害者たち。「自分のせいじゃない」「過去は忘れて仲良くしよう」・・・・いじめっ子がよく使う言葉です。
いじめられた子はずっとそのことを覚えているものですが、いじめっ子はすぐに忘れてしまう。

前作でも少し触れられていましたが、アメリカ人のインディアン虐殺。
そこらのアメリカ人に聞いてもまず間違いなく「自分たちは関係ない」と言うでしょう。
ナチスのことをドイツ人に聞いても、朝鮮のことを日本人に聞いても同じこと。

そういう「自分たちは関係ない」という態度がまた新たな悲劇を生むんですよね。

ここでヴァイツゼッカーのスピーチを引用させていただきます。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
全部読みたい方はこちらへ(ブログ外)。

他人事のように「虐殺者たちは酷い!」と言っていられないんですよね。
自分たちも過去に起こったすべてのことについて責任がある。
そのことを改めて思い出しました。




予習
アクト・オブ・キリング

2015/07/11

アクト・オブ・キリング(The Act of Killing)





インドネシアでは共産主義は違法とされており、六十年代に、大量の共産主義者たちが正義の名のもとに虐殺されました。
しかし、私たちから見れば犯罪者でも、インドネシアにおいて虐殺者たちは「英雄」なんですよね。そんな中では、被害者へのインタビューは叶わず、代わりに、加害者たちにインタビューすることに。
そこで、監督は、かつての虐殺者たちに自分たちのやったことを映画化してもらい、その過程を撮影したのです。
虐殺者たちは監督の真意など知らず、自分たちの武勇伝を伝えようと撮影に参加していますが、映画を観ればこれが武勇伝の映画ではなく、徹底的な反虐殺映画ということがわかってしまいます。そのため、この製作に関わったスタッフは、ほぼ全員エンドロールにおいては名前を伏せられており、大量の"Anonymous"が見受けられます。


嬉々として自分たちの武勇伝を語る虐殺者たち。そこに後悔や罪の意識はありません。

時折監督が「被害者たちはどう感じると思いますか?」「ジュネーブ条約では違法ですよ?」と虐殺者たちに聞いてみると、虐殺者たちは自慢げに持論を展開し始めます。
それが、意外と筋が通った理論だというのがまた恐ろしいです。

しかし、撮影が進むに従って、虐殺者たちの陽気な顔に陰りが見え始めます。
虐殺シーンで泣き叫ぶ子供たち。カメラが止まっても、涙が止まりません。
さらには、自分が虐殺される役を演じるという展開も用意されていて、ここで、ようやく彼らは、自分のしたことに気が付き始めるのでした。


「この事件を伝えていかなきゃいけない」という虐殺者たちの言葉が、全く裏返しの意味で活かされているのが巧いです。




予習
不要