2015/07/12
ルック・オブ・サイレンス(The Look of Silence)
前作『アクト・オブ・キリング』から二年、今度は9月30日事件を「被害者」視点で描いています。
前作よりもかなりわかりやすいです。
『アクト・オブ・キリング』は完全に何も知らずに観ると中盤まで監督の意図がわからずに戸惑うことになるのですが、こちらは、初めから方向性がわかりやすくなっているため、初見でもすんなり話に入っていけます。
この作品、映しているのは殆ど「現在」だけで、前作と違って残虐なシーンがないにも関わらず、生々しいほど「過去」が浮かび上がってくるんですよね。
言葉だけで、当時の痛々しさが描かれる。
そして、この映画の主人公でもある、兄を殺された被害者の男性は、兄の殺害に関わった人をひとりひとり訪ねていくのですが、同時にそれは、彼や彼の家族を危険に晒すことでもあります。
それでも、この事件を伝えていかなければいけないと、加害者を訪ね続ける男性。
前作同様エンドロールに大量の"ANONYMOUS"が見られるように、本当に命がけの映画なんです。
加害者たちは、何も知らずに男性に会い、過去の行為を自慢げに語ります。
しかし、男性が素性を明かした途端に言い訳を始める加害者たち。「自分のせいじゃない」「過去は忘れて仲良くしよう」・・・・いじめっ子がよく使う言葉です。
いじめられた子はずっとそのことを覚えているものですが、いじめっ子はすぐに忘れてしまう。
前作でも少し触れられていましたが、アメリカ人のインディアン虐殺。
そこらのアメリカ人に聞いてもまず間違いなく「自分たちは関係ない」と言うでしょう。
ナチスのことをドイツ人に聞いても、朝鮮のことを日本人に聞いても同じこと。
そういう「自分たちは関係ない」という態度がまた新たな悲劇を生むんですよね。
ここでヴァイツゼッカーのスピーチを引用させていただきます。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
全部読みたい方はこちらへ(ブログ外)。
他人事のように「虐殺者たちは酷い!」と言っていられないんですよね。
自分たちも過去に起こったすべてのことについて責任がある。
そのことを改めて思い出しました。
予習
アクト・オブ・キリング
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